
言われ、私も気にせずにおりました。でも、音の方を振り向かないので私もちょっと変だと思い始めて心配でした。
そのころ、主人が盛岡へ転勤になり、多忙の中、叔母さまと一緒に専門医にみてもらいました。医師は、「聴覚の神経が弱っているから、普通の学校でなくろう学校へ入れてあげなさい」といわれました。そのときの驚きと、悲しみは言葉に表現できません。ただ涙が溢れ、帰りの路、叔母さまに勇気づけられながらも、この子があまりにも可哀想でなりませんでした。
入学も間近なので、学校の近くの家を探して歩きました。叔母さまの知っている方にお願いし、一室お借りすることができてそこへ移り住みました。
息子は元気で大きく育ち、自分で買い物ができるし、遠く離れた友だちの家にも遊びに出かけました。ある日、帰りが遅いので心配し、隣のご主人さまにお願いし自転車で探してもらいました。薄暗い道をトボトボと小さい体で歩いて来るのを見つけ、自転車に乗せて連れて帰ってくれたときは本当に嬉しくて感謝しました。
無事で帰れたのは、寺の守をして草取りをし花を供え、礼拝の方々と話合い火の始末をしていた私を、仏が見守って下さったのだと今でもありがたく、まだこ主人さまに感謝しています。
小学、中、高等部、専攻科と進み、理容科を選びました。息子はたゆまず学び国家試験にもパスしました。そして卒業後、社会の一員として他人の家に住み込み、理容の技術を身につけるために頑張りました。私も時折、仕事振りを見に行き店主と話し合って、「悪いところは注意して下さい」とお願いしました。
前ページ 目次へ 次ページ
|

|